アメリカモラハラ離婚体験記③指輪も式もない結婚。

モラハラ エピソード

アメリカに移住する前の約1年間の間に私はオリバーと結婚し、出産した。のちに彼からモラハラを受けることになる私だったが、このときすでに彼のダークな一面に気づいていたのだった。

 

これは日本での結婚、出産の様子を描いたものです。

 

 

 

 

 

電車に乗っている時から何とも言えない気持ち悪さに襲われていた私だったが、なんとか目的地の駅のホームに降り立った。

 

駅のホームの椅子に倒れ掛かった私。次の瞬間体の中で隕石が落ちたような、鈍痛に襲われた。

 

 

 

『これって…』

 

 

 

 

私は妊娠していた。

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妊娠、そして結婚

私たちの結婚は授かり婚となんら変わりはなかった。

婚約はしたものの、それはコミットメントの段階。これからお互いを知っていこう、というステージにいた私たちが『妊娠しても良い』とうっすら思っていたことは間違いないが、すぐに妊娠するとは全く予想外だったのだ。

 

ドキドキしながら私は妊娠検査薬を買いに行った。

 

 

 

…結果陽性。

 

 

 

 

オリバーに伝えることに全くためらいはなかった。

 

オリバーと私は婚約の時にお互い欲しいものがあった。

 

 

私は憧れていたダイヤの指輪。

そしてオリバーは『子供』だった。

 

 

彼は私に『engagement babyが欲しい』と冗談交じりに言っていた。

 

 

当時の私は、子供が欲しいというより彼を喜ばせたいと思う気持ちの方が強かったのかもしれない。

私はワクワクしながら、妊娠の報告をするためにオリバーに電話をかけた。

 

 

 

オリバーは少し戸惑っているようだったが、声のトーンを変えず、妊娠を静かに喜んだ。

 

 

ただ、私には気にかかっていることがあった。

 

 

 

それは結婚がまだなこと。

 

 

 

今ならシングルでも子供を産むだろうけど、結婚も妊娠も特に考えていなかった当時の私にとって、結婚しないまま子供を産むという選択肢はなかった。

 

 

 

『結婚しないなら産むつもりはないよ』

 

 

 

すぐ結婚する気はない…

そう那覇空港で言った彼の言葉が引っ掛かっていた私はそう言った。

 

 

『結婚する気だよ。産んで欲しい』

 

 

 

そう答えた彼。そして私は母に結婚と妊娠の報告をした。

 

 

 

 

『え?産まないよね…?』

 

 

 

いつも私の決断に反対しない母は珍しくそう言った。

 

 

確かに、どこの誰かもよくわからない会ったこともない男と婚約しただけでも戸惑うのに、その上子供を産むと言われたら驚くのも無理はない。

 

 

 

しかも相手は沖縄のアメリカ軍人。

外国人であることは良いとしても、軍人の良くない評判を聞いている母にとっては、子供を産ませてそのままアメリカに逃げ帰るアメリカ人のイメージが強かったようだ。

 

 

 

まだ結婚もしていない相手の子供を産むと決めた自分。30代後半だったとはいえ、私は本当に親不孝な娘だった。

 

 

 

心配する母のことを伝え、まずはあいさつに来るようにと私はオリバーに伝えた。

父はとても静かで穏和な性格のため、全く問題はなかった。

 

 

オリバーは次に休みが取れる日に行く、そう約束し、母も父も納得したようだった。

 

 

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あいさつに来たオリバー

私はオリバーを空港まで迎えに行った。

彼は、途中に立ち寄ったデパ地下で母に渡すお菓子を買った。

 

 

 

今思えば、この彼の行動は奇跡的だった。

 

 

 

 

彼は誰かへのプレゼントを買うなんてことしたことがなかったし、もらうことさえ嫌だった。自分と子供以外にお金を使うのにとても抵抗がある人だったから。

私が誕生日にブランドの下着をプレゼントすると、『オレはプレゼントが嫌いだ』と返品されたこともあった。

 

 

 

アメリカ軍人であることを心配していた母だったが、オリバーが来る日が決まると毎日大掃除を始めた。

新たにクリーナーや掃除機を購入し、数日しか滞在しない彼のために3万円の大きな布団も買うなど、かなり気を遣って準備していた。

 

 

そんな母はいつも私のヒーローだった。

 

若かりし頃、男と駆け落ちして同棲を始めた私にこっそりお金を送ってくれたのも母だった。

免許はいらないから免許代で留学させてくれ、とお願いしたときも留学させてくれたし、結局免許もいるでしょ、と言って取らせてくれた。

 

 

私のすることに反対もしなければ、私が困ったときにはいつも助けてくれる人だった。

 

決してお金持ちではない家に育った私。母も散々苦労してきているが、そんなそぶりも見せない母を私は尊敬していた。

 

 

 

オリバーは母にお菓子を渡してあいさつをした。

 

しかしそれが最初で最後だった。

 

その後、私の母の誕生日にも、母の日にも、彼は何も贈ることはなかった。

 

 

 

母にも父にも捨てられたオリバーにとって、両親を大切にしたこともなければ感謝を表す方法さえ知らなかったに違いない。

 

 

私の父と母に会ったオリバーは始めは少し緊張していたようにも見えた。なかなか笑顔を見せない彼が滞在中に笑顔を何度か見せていたから、彼なりに気を遣っていたのかもしれない。

 

 

 

祖母や親せきにも会った。叔母は気を遣ってか、アメリカ軍人は日本を守ってくれてありがたい、と言ってくれていた。

 

 

体格の大きなオリバーは、歩くのもゆっくりのため、誰よりも威厳があるように見えた。

このとき母は、彼の難しそうな性格だなと感じていたようだ。

 

 

私と母はどちらも社交的で似ていたので、私が物静かなオリバーを選んだことに違和感を感じたのかもしれない。

 

 

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腫瘍が見つかる

妊娠が発覚したあと、私は赤ちゃんを確認してもらうため産婦人科に行った。そこで医師が私に予想外のことを伝えた。

 

 

『赤ちゃんいますよ~!産みますか?…あ、、、でもちょっと腫瘍があるみたいだねぇ。ここじゃよくわからないから大きな病院に紹介状を書くね』

 

 

 

 

『えっ…!』

 

 

妊娠を確認しにきただけのつもりが別の大きな病院を紹介されるという急展開に私の表情はこわばり、全身が一気に緊張感に包まれた。

 

 

実家に帰ると、気持ちの整理がつかなかった私は、『お医者さん、おめでとうございます!も言ってくれなかった』と母に愚痴り気を紛らわせていた。

 

 

 

 

私は卵巣嚢腫だった。

 

 

 

 

妊娠がきっかけだったのかもともとあったのか、卵巣内に液体や脂肪がたまってしまう卵巣のう腫の原因はわかっていないため不明だった。

 

 

ただ、赤ちゃんが大きくなるにつれて嚢腫が肥大化したり破裂したりするといけないということで摘出手術をすることになった。

 

 

 

 

術後の回復が早く、皮膚切開創が少ない腹腔鏡手術だったにも関わらず、大きな手術経験もなく、妊娠していた私にとっては恐怖でしかなかった。赤ちゃんはどうなるのか、嚢腫は良性なのか…なにもかも初めてでわからず、とにかく不安とともに毎日を過ごした。

 

 

 

 

嚢腫の手術が必要になったことはオリバーに伝えた。

彼が何といったのかは覚えていないが、手術の時に会いに来て支えて欲しいという希望は叶わなかった。

 

 

 

私は手術どころか、血管を見るのも苦手なタイプの人間だった。

なぜこんなに苦手なのかわからないが、とにかく子供のころから血管を見るのも聞くのも大嫌いだった。

 

 

 

手術に備えてなのか、多くの採血をする間、私は泣いていた。というか泣きたくもないのに涙があふれて止まらなかった。赤ちゃんのことが心配だったこともあった。

 

 

その後、何度も通うことになる妊婦検診にも手術当日も、どこに行くにも母がいつも側についてきてくれ、助けてくれた。

 

 

 

 

そして私は妊娠12週目で手術を行い、無事腫瘍は摘出された。

 

 

 

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俺の好きな日に結婚したい

手術が終わった今、私はただ、赤ちゃんのことを心配すればよくなった。

 

ただ、その時もまだ結婚はしていなかった。

 

 

 

オリバーが、結婚する日を自分の好きな日にしたいから、という理由だった。

 

彼が好きな数字はなぜか不吉な予感のする『13』。

 

その数字になるような日を選んで、彼は休暇を取り、私に会いに来た。

 

 

 

オリバーは他人の家に泊まるのが大嫌いな人間だった。

でもホテルを取るのはお金がかかるため、お金をかけたくない彼は、やむなく私の実家に泊まった。

 

 

 

 

オリバーの滞在期間中、私は彼に気を遣い、できるだけ合わせようと努めていた。

 

 

今は別人のように強くなった私だが、当時は争うこともストレスになることも嫌いで全て避けて生きていたし、それでとても幸せだったからだった。

 

 

 

 

 

子供を産むという決意をした私は、幸せな家庭を築くためには最大限の努力をするつもりでいたし、きっとそれでうまくいくと思っていた。

 

 

 

私はお気楽で友達とワイワイすることが好きな人間。

オリバーは一人きりでいることに幸せを感じる人間。

 

 

 

全く違うタイプなのに、自分の性格でなんとかなるだろうと思っていた私は、相当な愚か者だった。

 

 

 

 

私たちは式を挙げるつもりもないまま、オリバーの好きな13の数字の日に結婚届を出した。

 

 

 

いや、本当は私は子供を産んでからでも結婚式がしたかった。

一生に一度のものだ、と信じていたし、ウェディングドレスが綺麗に着れる最後のチャンスかも、と思っていた。

 

 

でもオリバーは全く式に興味がなかった。

 

 

 

彼を説得する気になれなかった私は式を諦めた。

 

 

 

 

その時、結婚式をしないカップルの離婚率が、異常に高いということは知らなかった。

 

 

彼が帰った後、記念撮影だけはしたいと思った私は、地元で素晴らしい写真家さんに会って打ち合わせをし、そのことをオリバーに伝えた。

 

 

『特別な写真を撮ってくれる人がいるんだけど…』

 

 

ところがオリバーは、記念撮影の値段が10万円くらいだったため、はなから私を相手にしていないようだった。

 

 

 

私は記念撮影も諦めた。

 

 

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結婚指輪はいらない

その後、私が『オリバーってちょっと難しい奴』と思ったのは勘違いだったかも、と思う出来事があった。

 

 

 

 

彼は籍を入れた日、私にダイヤモンドのハーフエタニティーリングをくれた。

そしてその後、『サプライズ』と言って、『手術を頑張ったご褒美』にダイヤモンドのエンゲージリングもくれたのだ。

 

 

 

 

そうか、彼は寡黙なだけで本当は優しい人なのかもしれない。

 

 

私は単純にそう思って喜んだ。

 

 

 

その何年後かに

 

『オレはお前にかなり投資した』

 

と言われたことで全ての素敵な思い出は消え去ったけれど…。

 

 

 

 

 

指輪をもらったあと、私はオリバーにこう言った。

 

『結婚指輪、あなたの分は私が買うからね』

 

 

 

 

オリバーは即こう答えた。

 

 

 

 

『いらない。俺は自分の気に入ったものしかつけないし、指輪も嫌いだ。指輪をつけるなら自分でデザインしたい』

 

 

彼はジュエリーにもファッションにも全く興味はなかったが、そういった。

 

 

『じゃあどんなのがいいか言って、私がデザインするから。』

 

 

そういうと彼はもう一度断った。

 

『自分でデザインしたい』

 

 

 

 

実は私はジュエリーに関しては少し知識があった。

ダイヤモンドについても学んでいたし、ジュエリーを作ることも学んでいた。

自分でデザインしたジュエリーをオーダーメイドしたこともある。

婚約指輪や結婚指輪は特別なものだから、しっかりデザインを考えたいと思っていた。

 

 

 

ダイヤは大きくなくていいから、クオリティーとデザインの良いものが欲しいと彼に伝えていた私。

 

 

彼はそれを無視して、自分が良いと思ったものを選んでいた。

 

 

 

ダイヤの知識のない彼が『これが一番クオリティーが良いと言われた』と言ったが、

鑑定書のないダイヤモンドのリングのクオリティーは不明だった。

 

 

 

でも、結婚指輪や婚約指輪をプレゼントしてくれたことに感謝した私は、全く文句を言うことはなかった。

 

 

思えばこんな私の態度も

 

『こいつは何でもいいなりだな』

 

と彼は思っていたのかもしれない。

 

 

 

 

オリバーは結局一度も指輪をつけることなく、私も自分がもらったものは本当に結婚指輪と呼ぶべきなのかわからずにいた。

 

 

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そんな荷物持ってる方が悪い

私は結婚したことを友人に報告し、彼と一緒に友人宅に遊びに行った。

 

友人は式をしない私たちのためになんとサプライズ結婚式を計画してくれていた。

私たちはケーキカットをしてパーティーをして楽しんだ。

 

結婚祝いを友人の母から頂き、オリバーもびっくりしていた。そして優しい友人たちからのいろんな質問に答えたりしてリラックスしていたように見えた。

 

 

 

 

翌日私たちは、外国人のオリバーのためお城を見に行く計画を立ててくれていた友人たちとともにちょっとしたハイキングに出た。

 

妊娠中の私は、タオルやら小物やらをバッグに入れて持っていた。

私の荷物を持たないオリバーをみて、友人の母は言った。

 

 

『オリバー、荷物持ってあげてよ。彼女妊娠中なんだから』

 

 

 

するとオリバーは戸惑った表情をした。

そして怪訝な顔をして私に小さくこういった。

 

 

『なんでこんなところにカバンなんか持ってくるんだ』

 

 

私はその様子をみなに見られないよう涼しい顔をして彼にカバンを渡した。

 

 

 

 

彼はお土産屋さんで友人の母にあげるお菓子を購入した。

珍しいな…と思いながら私が何で?と聞くと

 

『結婚祝いもらったからお返しだよ』

 

 

と彼は言った。

それは1000円くらいのお菓子だった。

 

 

私は彼に言った。

 

 

『日本では結婚祝いをもらったら、その後にもらった金額の半分から3分の1くらい相当のお返しをするっていうのがマナーなの。私は後日お返しをするから今お菓子かう必要はないんだよ。でもよくしてもらってるからお菓子をあげるのは良いと思うけど』

 

 

すると彼はたちまち眉をひそめて言った。

 

 

『なんだそれ!』

 

 

もらったものの半分を返すというマナーがあほらしいと思った様子のオリバー。また自分がお菓子に使ったお金がもったいないと思ったようで、少し不機嫌になった。

 

 

 

彼の性格を少しずつ理解していた私は、友人や友人の母に知られないようお菓子を渡した。

その時私はオリバーの印象を少しでも良くしておこう、と必死だった。

 

 

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自分と似たカップルの友人ができる

結婚した私は地味婚だったけれどそれなりに幸せだった。

 

 

休暇を2度取り、もう出産のときしか長期休暇は取れないという彼のために、その後私は何度も沖縄に行くことになる。

 

 

出産を控えていた私はいずれ渡米することもあり、それまでは実家で家族と暮らすことを選んだため、基地内に住むことはなかった。

 

 

 

オリバーはすでに20年近く軍に努め、数々の勲章をもらっていた。

そんなオリバーを誇らしいと思っていた私は、彼の威厳ある態度はきっと軍人だし、部下がたくさんいるからだと思っていた。

 

 

 

基地内でもあまり友人がいそうな感じもしなかったオリバーと唯一同等に話している人がいた。

同じ立場の同僚グレッグ(仮名)だった。

 

 

 

実はこのグレッグにも沖縄在住の日本人の彼女、亜美さん(仮名)がいて、彼女は妊娠中だった。そして彼らはまだ結婚していなかった。

 

 

 

そのカップルと私たちは境遇も年齢も近い事もあり、仲良くなった。

 

 

 

ある日、レストランで亜美さんと二人きりになった時、亜美さんがこっそり私に囁いた。

 

 

『実はわたしたち結婚するかわかんないんだよね』

 

 

 

 

亜美さんいわく、二人は付き合うことにしたものの、グレッグは結婚するつもりはなかったのだとか。子供をおろして欲しいという彼に対し、亜美さんは一人でも子供を産むことに決めた、とのこと。

 

 

シングルマザーでも産みたいという亜美さんの考えに驚き私は言った。

『凄いね。私は一人じゃ絶対無理だわ。』

 

 

亜美さんは年齢的にも最後のチャンスだし、子供は好きだし、ここには家族もいるから、と答えた。

 

 

 

 

 

そんな亜美さんはその後グレッグと結婚した。

彼女の予想に反して、グレッグさんは心変わりしたようで、子供をとても可愛がるパパになっていったようだった。

 

 

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もう生まれないと困る

結婚してから、最後のdeploymentに行くことになったオリバーは、3カ月間船の上での生活となった。

私たちは、主にメールでしか連絡を取り合うことができなくなった。

 

 

会えない間、私は彼に愛情を伝えるため、そして赤ちゃんのことを記録するために日記をつけ始めた。

彼へのメッセージ、そして赤ちゃんへのメッセージ。

 

 

それを生まれるまで毎日書いた。

 

 

 

時には赤ちゃんのエコー写真など、写真も貼ったその日記は、彼が帰ってきたときにプレゼントするつもりでいたものだった。

 

 

愛情を注がれず育ったという彼に、できる限り愛情を注ごうと私はたくさん愛情を込めたメッセージを書き続けた。

 

 

赤ちゃんの性別は教えるつもりはないという女医さんが担当医だったので、生まれるまで赤ちゃんの性別はわからなかった。

 

私にとって、赤ちゃんが健康ならどっちでも良かったから聞きたいとも思わず、とりあえずベビー服などはブルーとピンクを避けて買った。

 

 

 

日記を書く毎日は久しぶりでとても楽しかった。

 

 

自分のお腹の中に人間がいるという貴重な体験。しゃっくりしたり蹴ったりしているのを感じると愛おしくてたまらなかった。

 

 

 

この日記は今でもとってあるけど、それをオリバーが目にすることは二度とないだろう。

 

何年かたって、びっしり書き綴られた日記を読んでくれることになるのは娘だけだったのだから。

 

 

 

 

予定日が近づき、私は緊張していた。

 

オリバーは出産に立ち会うために休暇を申請していたらしいが、deployment中ではスケジュールの融通を利かせるのは難しかったらしい。ようやく予定日を含めた最小限で取れたようだった。

 

 

とはいえ、自然分娩の出産はいつやってくるかわからない。

予定日が近づいても生まれる感じがなく(というより初めてでわからなかっただけだったけど)散歩に出てはなんとか出産を促そうとする毎日だった。

 

 

その時、私は妊娠高血圧症候群になりかけていた。

 

妊娠高血圧症候群は、お母さんと赤ちゃんの命に危険が及ぶこともあり、とても恐い状態とのことだった。

 

 

 

体がむくみ始め、足は押すと後が残るくらいパンパンになっていた。

 

 

 

そんな私と久しぶりに電話をしていたオリバーはこういった。

 

 

 

 

『まだ生まれないのか。いつ生まれるんだ。休暇が近づいてるし、もうこれ以上休めないから』

 

 

 

 

もしかしたら危険な状況に陥っていたかもしれない妻に、彼はそう言ったのだった。

 

きっと彼も休暇の申請など、仕事でいろんなプレッシャーを受けていたのだろう。

ただ、その言葉を聞いたときに私は思った。

 

 

 

『なんでこんな時に自分のこと?赤ちゃんがいつ生まれるかなんてわかんないのに』

 

 

 

 

ところが、私は、赤ちゃんが生まれたその翌日に、彼からもっと傷つく言葉を投げかけられたのだった。

 

 

 

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出産直後の変な音

オリバーは予定日の前日に私たちに会いに来た。

私は彼に書き溜めた日記を渡して言った。

 

『あなたへのラブレターと赤ちゃんへのメッセージだよ』

 

 

オリバーはまさかの返事をした。

 

 

『え?これ、今読まなきゃだめ?』

 

 

 

結局その日記を彼が読むことは一度もなかった。

 

 

その夜遅く、抜群のタイミングで私の陣痛は始まった。

 

 

 

 

夜中に陣痛の感覚が短くなり、母は私とオリバーを車に乗せて病院まで急いだ。

その日は雷雨だった。

 

 

 

病院に着いた私たち。

 

母は気を遣ってベッドで陣痛に苦しむ私とオリバーを二人きりにして外で待っていた。

 

 

 

 

今まで感じたことのない痛みだった。

それこそ、体からあり得ない大きさのものが飛び出しかけて飛び出さない、というなかなか耐え難い時間だった。

 

 

『こんな痛みと戦うなんて…2人目は無理だ…』思わずオリバーに向かって呟く私。

 

 

 

出産の痛みは忘れるもの。産んだ後は2人目が欲しいと思ったりするけど、その時はもう一人で限界だと思えた。

 

 

 

『そんなこと言ったらオレの妹はどうなる、6人産んでるんだぞ』

 

 

 

冷静にそういったオリバー。一人くらいで…と思うなら産んでみろ!そう思った私。出産までいろいろあったしそんな言葉よりもっと思いやりある言葉を選んでくれなかったのが残念だった。

 

 

 

 

 

そしてついに分娩が始まった。

オリバーが立ち会った。

 

 

 

 

『オッギャー!!!!』

大音響の泣き声が響いた。

 

 

 

 

『女の子ですよ!』

 

 

 

 

赤ちゃんが生まれた瞬間、やっと性別がわかった。

 

 

『女の子だったんだ…』ほっとして号泣する私の頭上で、変な鈍い音がした。

 

 

 

 

 

『ドサッ』

 

 

 

枕元の方に立っていたオリバーが、気絶して倒れていた。

 

 

 

『旦那さん…大丈夫ですか!』

 

 

 

看護師さんが何度も心配し、私にオリバーが倒れたことを伝えた。

母も心配して入ってきた。

 

 

 

彼がなぜ気絶したのかわからない。

 

 

『寝てなかったからだ』

 

と後で言っていたし、その通りかもしれない。

 

 

 

でもオリバーはどんなことにも動じない鋼鉄のような強い男と思っていた私は、出産直後に気絶した彼に驚いた。

 

まさか…出血を見て気絶したわけではないだろう。そう思いたい。

 

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面会拒絶

無事に元気な女の子を出産して安心したのもつかの間、『妊娠高血圧症候群』になりかけていた私は『絶対安静』『面会禁止』となり、1週間入院した。

 

 

 

一人産むくらいで何弱音言ってんだ…

 

 

 

オリバーの言葉が頭をよぎった。

 

 

 

たった一人の子供を産むだけで母親は死にかけることもある。

人によって年齢も体調も状況も何もかもが違うし、安産のときもあれば難産になることだってある。

 

 

 

絶対安静の暗闇の中で、私はよくわからない不安に襲われていた。

 

『オリバー、、、この先大丈夫かな。。』

 

 

赤ちゃんに会えるのも1日1回1時間くらいだけ。

携帯電話も禁止でひたすら寝るか考えるかしかなくなった。

 

 

 

 

家族の面会は30分だけOKとなり、母と姉、そしてオリバーが病室に来た。

母は私に必要なものを聞くと、姉とともに先に帰り、病室の中で私はオリバーと二人になった。

 

 

 

私たちがどんな会話をしたのかあまり覚えていない。

 

 

 

印象に残って覚えていることの一つは、オリバーが赤ちゃんを見て(アジア人寄りだったからか)

『これはイジメられないようにしないとな』

 

 

と言ったこと。

 

アメリカでアジア人は差別を受けるんだろうか。

まだ渡米前で現状を知らない私はそんな差別があるの…?と驚き不安になった。

そして、まだ顔がはっきりしない赤ちゃんに向かって将来のいじめの心配をしている彼になんだかモヤっとした。

 

 

そしてもう一つは、私がむっつり顔の彼に『あんまり嬉しそうじゃないけど、嬉しくないの?』と聞いたときの彼の答えだ。

 

 

『もちろん嬉しい。なんていったってオレはこのまま結婚しなかったら養子を受け入れようかとさえ考えていたんだから。』

 

 

 

彼はバツイチだった。

 

前の妻には連れ子がいたが、オリバーになつかなかったようだ。自分の子供が欲しい、オリバーはそう思っていたが叶わず二人は離婚した。

 

 

 

20年も軍にいたが、彼には友人がいなかった。グレッグでさえ友人と呼ぶほど親しくはないようだった。

 

 

彼が子供が好きなのは、甥っ子や姪っ子がなついてくれるからだろう。

子供たちだけは、遊んだりお菓子をあげれば好きになってくれる。でも大人は思い通りに、とはいかない。

 

 

 

そしてその日、彼は絶対安静の私になんとこんなことを言った。

 

 

 

『オレはこの子のことをお前より愛している。なぜならこの子のことは生まれた時から知ってるからな。お前のことは最近になって知ったばかりだから。』

 

 

 

 

ショックで言葉を失った私は自分をかばうためにこういった。

 

 

『お前より、じゃなくってこの子と私とは違う種類の愛情なんでしょ?』

 

 

 

自分をフォローするセリフはとてもみじめだった。

 

 

彼は自分のセリフが私を傷つけたことにやっと気づいたのか『そうだ』と答えた。

 

 

 

私の彼への不信感はまた少し大きくなっていた。

 

 

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母乳で育てることに興味ない

赤ちゃんの名前はエマ(仮名)になった。

それはオリバーが考えた名前だった。

 

そして私はミドルネームを尊敬するスーパーモデルの名前にした。

当時結婚して2児の母だった彼女は、偶然にも私の渡米後に離婚した。

 

 

私はエマが可愛くて仕方なかった。睡眠不足でフラフラになっても、エマを寝かしつけた後に携帯で撮ったエマの写真を何回も見直してしまうくらい大好きだった。

 

 

そんなエマのために私はできる限りをしようと思った。

 

 

 

 

母乳で育てたかった私は、母乳がなかなか出ずとても苦労していた。

 

 

たまたま近所にとても評判の良い母乳マッサージの女性の先生がいたため、通うことにした。

1回4000円だったと思う。

 

 

先生からはこう言われていた。

 

 

 

『これから半年間、ごはんと、具沢山の味噌汁だけ食べなさい。』

 

 

 

それを伝えると、母はさっそく具沢山の味噌汁を毎日用意してくれた。

 

 

 

 

エマは生後2か月になった。

 

 

 

『沖縄に来て欲しい』

 

 

 

 

Deploymentを終えて沖縄に戻っていたオリバーのために、生後2か月のエマとともに飛行機に乗った。

 

 

 

 

そこに行く前に私は彼から不満を聞かされていた。

 

 

それは、船の中の換気ができていなくてぜんそくのような症状が出たこと。

帰宅したときの寮の部屋がカビだらけになっていて、クローゼットの中もカビが生えていたこと。

そのせいで咳がとまらない…などなど。

 

 

そんな部屋に赤ちゃんを連れて行くのはためらったけれど、彼は父親なのだから仕方がない。

 

 

そうして部屋にたどり着いてから、私は数日分の着替えなどの荷物をどこに入れたらいいか彼に聞いた。

オリバーの住む狭い寮の中には、赤ちゃん用のグッズがたくさん用意されていた。

 

 

 

『ここに入れていいぞ』彼は、おそらく『カビが生えてた』というタンスを私に貸してくれた。

彼の洋服は、割と綺麗なタンスに入れられていた。

 

 

 

『こっちがいい』

 

 

と言うと、拒否された。

 

 

 

ここからの沖縄の滞在は私にとって不快な思い出ばかりとなった。

 

 

 

彼はなんでも自分が主導権を握りたいタイプだった。

 

 

 

 

また、自分が正しいと思い込んでいた。幼い頃自分たちを置き去りにした両親に変わって妹や弟のおしめを換えて育った俺は子育てをお前よりよく知っていると言って積極的にエマの面倒をみた。

 

 

 

確かに私はおしめ替えをしたことないし、赤ちゃん慣れしてないな、

 

そう思い、彼の言うままに従った。

 

 

 

ところが、偉そうな態度は子育てだけではなかった。

 

 

 

 

『歯磨き粉忘れたから貸して』

 

 

オリバーの歯磨き粉を使おうとする私に彼は言った。

 

『汚くなるから嫌だ』

 

 

 

は?汚くなる?と一瞬わけがわからなかった私に彼は歯磨き粉を持ってわざわざ補足説明をしてくれた。

 

 

 

『お前が使うとキャップの周りが汚くなるだろ、だから嫌だ』

 

 

 

何言ってんだこの人、と思った私は面倒なのでこう聞いた。

 

 

『じゃあ買ってくるからお店連れてって』

 

 

基地内にはお店があるのでそこで買えるが、そこに行くにも距離があるし場所がわからない。購入にもIDが必要となる。

 

彼はめんどくさいからか、それをサクッと断り、そして仕方なく歯磨き粉を貸してくれた。

 

 

 

そして洗面台の鏡を見てこう言った。

 

 

 

『ほら、お前が使うと鏡がこんなに汚くなる』

 

 

 

どうやら彼の嫌味っぽい話し方は昔から染みついてしまっているようで、こんなセリフを冗談ぽく言うことも何度かあった。

 

 

私がそれに耐えられたのは、彼の生い立ちを考慮していたからだろう。

ただ、それにも限界がくることを、この時は考えていなかった。

 

 

 

台所のない彼の部屋。棚を開けた時にチラリと見えた缶詰は見事に完璧に整列していた。

そしてタンスの中にあるシャツは全部同じ高さで並んでいた。

 

 

 

ベッドメイキングも毎回ぴっちりシワのないようにしていたから、これはずっと彼の性格だと思っていた。

 

そして本人も『こうやってキッチリしているのが俺だ』という態度でいた。

 

 

ところが、それは軍人には定期的にルームチェックがあるせいだと知ったのだ。

それでも、その行動は彼が何年もやってきたことで、きっと体が覚えているんだろうと思っていた。

 

 

 

数年後、アメリカでこっそり彼の部屋を見た時に真実を知ることになったのだけど。

 

 

 

 

歯磨き粉はともかく、私には譲れないことがあった。

 

それは母乳のための『ごはんと具沢山の味噌汁』

 

 

料理をするにしても携帯用コンロを使わなくてはいけない。

 

彼が協力してくれる様子はないので、お店にご飯と味噌汁を買いに行くことになった。

 

この時は、『なんでごはんと味噌汁なんだ、ばかばかしい』というような感じも見せていたが、お店に連れて行ってくれた。

 

 

 

ところが、数か月後に再度沖縄に行った時にごはんと味噌汁、と伝えても『それだけじゃなくたって大丈夫だろ』ともう対応してくれなくなった。

 

 

 

そして彼が行きたかったというタイ料理レストランに連れて行かれた。

授乳中にスパイスなんて嫌だ、と思う私の思いは考慮されなかった。もう沖縄滞在中は諦めるしかない…。ケンカをするのも嫌なので黙っていた。

 

母乳の出は悪く、早く実家に帰りたい、、とばかり思うようになっていた。

 

 

 

 

王様オリバーは自分のものを汚されるのが大嫌いだった。

 

 

『潔癖症なのかもな』

 

 

そう思っていた私。

 

 

 

ところが、彼は部屋の中で食べていたマカロニを私の新品の靴の上に落としたとき、謝らず笑っていた。

 

 

 

私が『この人とはいずれ離婚するな』と思ったのはこの沖縄滞在が原因だった。

 

 

 

私は滞在中に再会した亜美さんに自分の気持ちを打ち明けた。

 

 

『私、この人とたぶんうまくやっていけないと思う。かなり意地悪なの。でも3年は我慢するわ』

 

 

なぜ3年だったのか。

 

 

世間体だったのか、グリーンカードが欲しかったのか、、当時の自分の気持ちが思い出せない。

 

とにかく私は3年努力しようとだけ思っていた。

 

 

日本にいたときの私は甘ちゃんだった。

いつも何とかなる、で過ごし、何とかなってきたのであまり物事を深く考えたり調べたりすることをしなかったのだった。

つまり人生を甘く見ていたのだ。

 

 

 

アメリカに渡り、強烈パンチをくらうことになった私は、その後ひたすら自分で徹底的に調べることを繰り返し、そして負にもストレスにも立ち向かうことを学ぶことになるのだが…。

 

 

 

私とオリバー、亜美さんとグレッグは、出産が1か月違いだった。

それぞれの子供を連れて近くに遊びに行くことにした私たち。

動物のいる大きな公園だった。

 

 

おしめや着替え、ミルクなどの荷物を入れた大きなカバンを亜美さんと私は抱えていた。

 

グレッグは当たり前のように亜美さんのピンクの大きなバッグを持つと歩き始めた。

 

オリバーは、私のバッグは視界にも入らないようで、持ってくれる様子もなく彼らに続いた。

 

 

 

父親同士赤ちゃんを抱っこして歩いていたときも、グレッグは荷物を持っていたが、オリバーは私に持たせたままだった。亜美さんは、子供が生まれたらなぜか彼は変わったと私に言い、私はそんな亜美さんが羨ましくさえ思えた。

 

 

 

子供をおろして欲しい、結婚も未定というグレッグと亜美さん、婚約して結婚と出産したオリバーと私、それぞれの関係はいつの間にか逆転していた。

 

 

 

 

私が母乳育児をなんとか頑張ろうとしている間、オリバーは粉ミルクでいいじゃん、と思っていた。

 

 

そうじゃないと男は母乳が出ないから、『俺の育児』で主導権を握れないからだ。

 

 

 

のちに彼は信じられないことを私に聞いてきた。

 

 

 

『赤ちゃん連れて先にアメリカ帰ってていいか』

 

 

 

それはまだ私が母乳と粉ミルク混合で奮闘している時期だった。

 

 

 

 

続く

 

 

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