ビザを待つ私を置いて先に赤ちゃんとともに帰っていいか、そんなありえない質問にも私は怒らなかった。
もしかすると単に彼は子供が欲しかっただけなのかもしれない。
彼自身きっと母乳で育てられていないし、妹や弟たちも粉ミルクを飲んで育っているから、彼にとっては、私の母乳育児なんてくだらないものだった。粉ミルクで十分健康に育つんだし、俺は赤ちゃんを育てたことがある、だから慣れてる俺が赤ちゃんを連れて先に帰りたい、そんな無茶苦茶な考え方だったようだ。
ところが、エマが彼にまったくなついていないことでそれは叶わなかった。
実は私が彼のあり得ない申し出に激怒しなかったのには理由があった。
私が焦るほど、エマはオリバーに懐いていなかった。
赤ちゃんがパパに懐かないのはエマだけに限らないけど、私はオリバーが自分に懐かないエマが嫌いになるのではないかと恐れていたのだ。
もう子供なんかいらない…そうやってアメリカに帰ってしまったら。
私はそれが怖かった。
日本には家族もいるしサポートはあるだろう。
エマはかわいいし大切だから私は精いっぱい努力して子育てするだろう。
でも父親のいない子供を育てる自身は当時の私に全くなかったのだ。
ビザを待つ。遠距離生活
婚約後すぐに妊娠した私は実家で過ごすことに決めたため、本州に住む私と沖縄に住むオリバーはアメリカに渡る前に一緒に住んだことがなかった。
このことが、私が『結婚生活、きっと頑張れるだろう』と錯覚した原因でもあった。
エマを産む決断をしたこと、エマが生まれたこと、
もうこの時点で私が彼と別れようと考えることはなかった。
私は『なんとかうまくやっていく方法を見つけよう』とだけ思っていた。
オリバーは意地悪な性格だったけれど、優しかったり面白いところもわずかにあった。
アメリカ軍人との結婚の場合、軍の中(基地)で婚姻の手続きなどをすることになる。彼はまだ生まれたばかりのエマのパスポートやアメリカ国籍を早々と取得していた。
そして軍をリタイアするオリバーはアメリカに帰国しなくてはならず、私たちはビザの申請をするとひたすら待ち続けた。
アメリカに帰国したオリバー。オリバーが購入していた家は、親戚に貸していた。帰国して彼らとしばらく同居生活をすることになったオリバーは彼らに不満ばかりを抱えていた。
親戚一家は娘一人の3人家族だったと思う。
奥さんのマリアさん(仮名)とは数回会うことになるが、穏やかな良い人だった。
オリバーは彼らが『家を汚している』ことにストレスを感じていた。そりゃあ小さな女の子がいるんだから仕方ない。
『早く出てって欲しいと思ってる』
そう私に何度も言った。
彼らが円満に退去したのかはわからない。
しかし、オリバーから『マリアの夫に”お前の家より広い家を購入した”とか”お前の家は狭い”』と言われたよ…という話を聞く限り、あまり良い関係とは思えなかった。
さらにオリバーは『アイツは○○(有名IT会社)に入るのに9年もかかった』と少しバカにしたようにそうも言っていた。
オリバーは自分の能力を過信しているところがあったから、私はオリバーがリタイア後にいったい何の職につくのか興味があった。
オリバーからはアメリカに行ったらお前も仕事しないといけないぞ、と言われていた。
『リタイアしたら恩給が支給されるが、それは俺一人生きてくだけなら十分だが3人で暮らすには十分じゃないからな』
この時彼は、私に”支給される恩給の額”をごまかして伝えていた。
それは実際の額の半分くらいだったのだ。
そして彼は私に聞いた。
『お前、いくらくらい稼げる?』
なにその質問…と思ったものの適当に『2000ドルくらいじゃないかな』というと自信ありげに彼は答えた。
『オレはお前の3倍稼げる』
この言葉は、今の私の原動力になっていて、時々思い出してはこう自分に言い聞かせている。
『私がお前の3倍稼ぐ。』
オリバーはカリフォルニア州に不動産を所有していることも私に隠していた。
なぜ知ったのかというと、たまたま基地の中で一緒に食事した夫妻が、『カリフォルニア州にコンドミニアムを買ってる。』『君も購入してるよな』とオリバーに言ったからだった。
オリバーはきまり悪そうに『まだそのこと彼女に言ってないんだけど』と答えていた。
『何で言ってくれないの?信用してないの?』
私が後で聞いたときに、彼は『サプライズにするつもりだった。お前だって宝くじに当たったとして会ったばかりのやつにすぐに話したりしないだろ』と答えた。
カリフォルニア州に不動産があることはどうでもよかった。
話してくれなかったことを知った時、彼への気持ちが少し冷めていた自分がいた。
ビザを待つ間、子育てに協力してくれたのはやはり母だった。
いっしょにお散歩に行ったりお風呂に入れたりしてくれるおばあちゃんにエマはとてもなついていた。
ビザが降りるまでに1年ほどかかった。長く感じたがその期間家族と友人と楽しく過ごせたのだから良かった。
大切な友達。
私は友達がいないと生きていけない人間だった。
それでも誰も知り合いのいないアメリカに行くことに迷いがなかったのは、子供ができたことがきっかけだった。
人生の新しいステージに進むんだ。
子供が生まれ、幸せな家庭を夢見ていた私はこれが私の第2の人生だと思った。そしてアメリカに住みたい、と思っていたこともあった。
ビザのために結婚しよう、とまでは思わなかったが…。
日本でビザを待つ間、私はサプライズ結婚式をしてくれた友人と彼女の子供と一緒に公園に行った。そこで私はちょっとだけ弱音を吐いた。
『実はちょっとだけオリバーに不安なとこがあるんだよね。…彼ちょっと意地悪で、、、』
友人は言った。
『そうなの?でもきっと大丈夫だよ!』
それ以来、モヤモヤした思いを伝える人はいなくなった。
最後の沖縄
ビザの最終手続きに私とオリバーはエマを連れて沖縄に行かなければいけなかった。
アメリカにいたオリバーは、そのために3週間ほど日本に来ることになった。
この時に起きた出来事を、私はオリバーからその後何年間も責められることになる。
1歳になったエマは相変わらずオリバーが苦手だった。旅行の間中、私はエマを抱え、荷物を持ってくれないオリバーとともに重い荷物を持って歩いた。
荷物を持ってとお願いしなかったのは、彼の機嫌が悪くなることが目に見えていたからだった。
嫌な空気になるより自分が持った方が良い、そう思って何も言わなかった。
沖縄には3日ほどの滞在だった。
ホテルに宿泊するため予約や手配をした。
オリバーは日本語が話せないため、当然この間の移動などは全て私が主導した。
翌日手続きのために役所にいた私たち。そこで私はエマのおしめを換えるためにトイレに向かった。
そして私はそこで少しミスをした。
エマのおしめを付け忘れて戻ってきてしまったのだった。
戻ってきたときにオリバーが気づき私をちらりと見ておしめを忘れていることを伝えた。
『嘘ッ!忘れてる??私ったら~!! つけたつもりだったわ…!笑』
と笑い飛ばせればよかったけど、相手が悪かった。
オリバーは険しい顔をしたあと、私に軽蔑のまなざしを向けた。
私は無言でエマとトイレに戻り、おむつをつけて戻ってきた。
沖縄滞在中、オリバーはほとんど育児を手伝わなかった。
というよりエマが彼が抱っこするとギャン泣きするため、手伝えなかったと言った方が正しいかもしれない。
ただ、夜中もミルクやおしめやらで何度も起きては泣くエマに私は相当疲弊していた。
オリバーが手伝えないことはわかっていたため一人でやっていたものの、せめて日中、荷物だけは持ってほしいなと思っていた。
歩き始めていたエマの手を握り大きな荷物を肩に掛けた私は、オリバーとともに私の実家に帰る電車に乗るため、駅のホームにいた。
私の疲労はピーク。そして気難しい男と一緒に旅行するストレスもなかなか凄いものがあった。
この旅行中、オリバーの役割は一体なんだったんだろう…。
この渡米直前の私は、オリバーと一緒にいても全く楽しくなかった。
無言のまま、私たちは立っていた。
そこに電車が到着した。
扉が開いたとき、私はエマの腕を引いて持ち上げようとした。
ところが私の力が足りずエマの足がひっかかり、エマはホームとの間に落ちかかってしまった。
『あっ‼』
青ざめた私。
とっさに乗客の一人が緊急ボタンを押そうと手を伸ばした。
すると次の瞬間に、後ろにいたオリバーがエマを引っ張り出していた。
無事に電車に乗れたが、私の心臓は飛び出しそうなほどドクドクしていた。
オリバーが終始無言だったのが恐ろしく不気味で、私は母親失格だ…と自己嫌悪に陥っていた。
エマが無事だったのがなによりだったが、一体オリバーに何をいわれるのか不安でたまらなかった。
葬式のように沈黙を保ったまま私たちは家についた。
疲労のピークで重い荷物を抱え、エマを連れていた私には、あの時に余力がほとんどなかった。
のちにオリバーは予想通り私を責めた。
そしてことあるごとに何年もこの話を持ち出してきたのだ。
じゃあなんで私の荷物をもってくれなかったのよ!と言うと
『俺だってバックパック持ってたんだ』
と言った。
バックパック持ってたっていうか背負ってたんだから両手は開いてるのに…。
大柄で力のある男がバックパックで限界、なんてはずないだろ!
そう思ったけれど、これがオリバーだから仕方なかった。
そして私も、この時に『オリバーに頼ろうとしてはダメだ』と学んだのだった。
数年間、私は自分はトロイ母で、オリバーのがしっかりしている、そう思い続けていた。
でも今あの時の自分に言いたい。
すぐそのうち、彼は本当はだらしないし弱い人間だってわかるよ、あなたは自分の育児に自信を持つようになるんだから、と。
見送る家族・不機嫌なオリバー
私たちを迎えに日本に来ていたオリバーは人の家に泊まるのが嫌だ、と散々言っていた割には今回も私の実家に宿泊した。
その間、彼は何の手伝いもしようとしなかった。
出された食事が口に合わないのか、全部食べない。早く日にちが過ぎるようにできる限り遅く起きる、などまさしく王様の態度だった。
それでも私の母は、『口に合わなかったのかな?』『何が食べたいか聞いてくれない?』『これオリバー好きかな?』と彼をいつも気にかけていた。
辛い物が好きだという彼のために辛い物を探した。
辛いハンバーガーなら食べれるかも、と沖縄でも行ったことのあるモスバーガーでスパイシーモスバーガーを何度も頼んだりした。
オリバーは母の車の中でモスバーガーを食べると、ゴミを車内に残して降りた。
アメリカでは、自分の車の中を少しでも汚されるとすごい剣幕で文句を言っていたのに…。
渡米の前日に親戚一同が集まることになった。
みんなで私たちの門出を祝ってくれるということで、食事に行き、楽しい時間を過ごした。
そして母は、空港まで見送りたいという叔母と祖母、そして私たち家族みんなが乗れるようにバンを手配することにした。
その値段は往復9万円くらいだった。それでも母は、もうあるかわからない機会だしと自分のお金を使って予約したのだ。
みんなが空港に見送りに行く、手段は大型タクシー、金額9万円くらい、と聞いて一人だけ怒る人がいた。
オリバーだった。
『なんで空港で見送るだけにそんなお金をかけていくんだ!もったいない』
いつもより大き目だけど静かなトーンで、彼は私に反対の意思を表明した。
私は、価値観の違いをなんとかわかりやすく説明して彼の怒りを鎮めようとした。
何年後に私たちに再会できるかわからない家族が空港まで見送りたいっていうのは当然だし、足の悪いおばあさんが一緒にいくのだからできるだけ楽な方法で、そして人数も多いから大型車になるし、値段が高くなるのも仕方がないでしょ。それに家族が見送ってくれるのはありがたいし、私は来て欲しい。
…彼はいつまでも反対していた。
私は、オリバーはそもそもの価値観が全く違うだけでなく、妥協することが絶対に嫌な人なのだと知った。
そして他国の文化を受け入れる柔軟なところもなかった。
その日私は母に手紙を書いた。
空港で別れる時、その手紙とともに、タクシー代が賄える金額を渡した。
母は最後まで、お金はいらないから、いらないから、と逃げ回っていたが私は母のカバンに無理やりねじ込んだ。
その空港でのお別れの前日、私はオリバーとそれまでで最大の危機を迎えていた。
これまでの意地悪な態度や物言い、全く協力や手伝いしない割には文句を言う、そんなオリバーに私はついにぶち切れ、彼に怒りをぶつけた。私は泣いていた。そんな私の様子を少し離れたところから母も見ていたようだった。
オリバーは夕食後、茶碗を洗い場に置いて私にこういった。
『お前が嫌ならアメリカ来なくったっていい』
さらにこう付け加えた。
ハッキリとこう言ったオリバーの様子を、今でも昨日のことのように覚えている。
彼はその後『そんなこと言ってない』と平気で嘘をついたが、私の心には今でもしっかり刻まれているセリフだった。
そんな不安な状態で私たちは渡米し、私はその気持ちを誰にも打ち明けることができなかった。
お姉ちゃん
渡米する飛行機の中で、ふと隣を見るとオリバーは泣いていた。
彼の涙に私は驚いた。そして私も泣いていた。
その理由は、私と姉の関係にあった。
今では大好きなお姉ちゃんだけれど、私たち姉妹はこれまで何年もケンカばかりしてきた。
子供の頃はずっと一緒に遊んでいた姉と大喧嘩したのは10代の頃。
そこから意地の張り合いとなった私たちは、ケンカしたり仲良くなったりを繰り返し、社会人になってからはあまり話さなくなってしまった。
私の結婚、妊娠も姉は母から聞いていた。でも姉は病院まで赤ちゃんを見に来てくれたし、私も本当は仲良くしたいなと思っていた。ところが姉は心に秘めてあまり話さないタイプなので私が何か言うきっかけもなく、私たちの距離が縮まることはなかった。
ケンカばかりしている姉がいることを私はオリバーに伝えていた。
姉とは性格が全然違うこと、私たちは全然喋らないことなど。
オリバーは、家にいることが好きでおとなしいという姉と自分の性格が少し似ていると思ったのか、姉の姿に自分の姿を重ね合わせていたように見えた。
実家に滞在中、オリバーは姉と話す機会が何度もあったけれど、英語の話せない姉と日本語の話せないオリバーが会話することはなかった。
渡米日、空港にお姉ちゃんも来るんだ、と私はちょっと気まずい思いでいた。
お姉ちゃんが嫌いというわけでもなく、長年ほぼ会話しなくなっていた関係でどう接していいのかわからなくなっていたのだった。
妊娠中に大喧嘩したこともあって、そこからちゃんと仲直りできたわけでもなかった。
私とお姉ちゃんは会話をしないまま、別れの時間を迎えてしまった。
じゃあね!…セキュリティーゲートで写真を撮り、お別れ…というときに姉が私に近づいてきた。
『これ、持って行きゃあ…』
姉に渡されたもの。
見るとそれはお守りだった。
『ありがとう…』
私がそういった瞬間、姉は急に泣き出した。
『気を付けてね!本当は私もあんたと話したかったけどさ、私たちお互いに意地はってて…』
泣きながら姉はそう言った。
『私も、、また連絡するから…!』
私の目からも涙があふれて止まらなかった。こんな時にしか話せないなんて…。
私たちを見て祖母も泣いていた。
エマを抱っこ紐でくくりつけた私は、泣きながら大好きな家族と別れ、セキュリティーゲートをくぐった。
機内につくまで、私は泣いていたからオリバーの顔を見ることはなかった。
彼も無言のままだった。
ようやく気持ちが落ち着いて彼を見た時、彼の涙に気づいた。
優しい心もあるのかな…
以前沖縄でとても悲しい孤児かいじめられっ子の映画を一緒に観ていたときに初めて彼の涙を見たから、今回は2度目だった。
人の心がある…そんな気がして少しだけ救われたような気がした。
ところが、アメリカに着いた途端、彼の意地悪な態度はどんどんエスカレートしていくのだった。
泣いていた私はその数時間後から、オリバーがデザインしたという、『広くて新しく素敵な家』という名の『牢獄生活』が始まることを全く予想していなかった。
(続く)
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